まだまだ上手に「なかよく」できない子どもたち。
「こんなとき、子どもはどんな気持ちでいるの?」「どうしてうちの子は、こんなことをしてしまうの?」そんな疑問に、子どもたちの心をしっかりとらえた保育に定評のある柴田愛子さんが、答えてくださいました。
監修/柴田愛子(「りんごの木」代表) 構成・文/小菅由美子
イラスト/朝倉千夏
柴田愛子
幼児園「りんごの木」代表。保育の仕事のかたわら、保育・育児雑誌への寄稿や、親の会、研修会などで講演。ママ向けエッセイ集(『子育てを楽しむ本』『子どもを叱りたくなったら読む本』他)や、子どもの気持ちを表現する絵本(『けんかのきもち』『わたしのくつ』他)など、著書多数。
3歳の子の「いじわる」は、恨みがあってやっているわけではありませんよね。むしろその反対のことが多く、「気を引きたい」、「なかよくなりたい」という気持ちの表れです。
3歳くらいの子は、まだ、どうやって仲良くすればいいのか知りません。でも、自分でいろいろ考えて、やってみて、失敗したり成功したりして、学んでいきます。大人はつい自分の子を「優しい、よい子」にしたがりますが、そんなのは無理ですよ。ぶつかり合ったり、手をつないだりする。それでいいんです。
「りんごの木」に、3歳間近のゆうたくんと、3歳になったなっちゃんがいました。元気者のなっちゃんにひかれて、何日もじーっと見つめていたゆうたくんでしたが、あるとき、勇気を振り絞って、なっちゃんのそばへ行きました。そして、おもちゃのおたまで、なっちゃんが使っているおもちゃのコンロをカンカンたたき始めたんです。
だれかと仲良くなりたいときにどうすればいいか、ゆうたくんには分からなかったんです。でもこのとき、「カンカンやるとなっちゃんに気づいてもらえるぞ」ということが分かりました。「これはいい」と思ったんでしょう。ますますおたまを振り上げて、カンカンと音を鳴らしました。なっちゃんは「うるさーい!」とどなって、ゆうたくんの肩をドンと押しました。気に入らないことがあると、なっちゃんはいつもそんなふうでした。でも、手加減をしたんです。わたし、なっちゃんが手加減をする姿は、見たことがありませんでした。
ゆうたくんはうれしくなって、またカンカンやりました。なっちゃんはついに、手に持っていたおなべを振り上げたかと思うと、床に投げ付けました。投げ付けたのは、ゆうたくんと反対側の床でした。
わたしは、怒りをそらすことができるってすごいなと思いました。ラブコールを送り続けたゆうたくんに対して、なっちゃんは「こいつ、まったくうるさいやつだな!」と思いながらも、あったかい気持ちを抱いたんでしょうね。
その数日後のある朝、ゆうたくんが登園してきたとき、お母さんが去ろうとすると、珍しくワンワン泣きました。そしたらね、なっちゃんがすっとゆうたくんに近づいて、手をつないであげたんです。二人が「なかよし」になった瞬間でした。子ども同士がつながるときって、ものすごいドラマがあるんです。
2歳ごろに多いかみ付きは、自我の芽生えに言葉の発達が追いつかず、気持ちをどう表していいか分からないことから起こります。その子の内面の表現というわけです。家庭では、かんしゃくを起こしたり、物を投げたりという表現も多いでしょう。
そんなときは、子どもが何を言いたいのかくみ取って、言葉にしてあげてください。不満ではなく、「なかよくなりたい」「一緒にやりたい」という気持ちでかみ付いてしまうことも、少なくありません。
あるとき、あっくんという2歳の男の子が、ピアノを弾いてる子の手にかみ付いてしまいました。そばにいた大人が慌てて口を押さえて、「かんじゃだめよ」と教えると、あっくんはしばらくの間「かんじゃだめ、かんじゃだめ」と念仏のように唱えていましたが、結局、すぐにまた別の子にかみ付いてしまいました。あっくんには、「かんじゃだめ」の意味が分からなかったんですね。じゃあ、大人はどうすればよかったのでしょうか。
別の子が、おもちゃの自動車に乗っていた友達にかみ付いてしまったことがありました。わたしは、かみ付いた子をぎゅっと抱き締めて「車、乗りたいね。代わってほしいよね」と、その子の言葉にならない気持ちを代弁してあげました。すぐにかみ付きが治るわけではありませんが、子どもは、気持ちを分かってもらえたことで落ち着いて、少しずつかみ付きも減っていきました。
かみ付いてしまった子が、相手のそばを立ち去らずにうろうろしていることもあります。これは、もう「ごめんね」という気持ちが芽生えている証拠です。そんなときわたしは、その子を優しく抱き締めて「かんじゃったね。使ってみたかったんだよね」などと声を掛けます。また、かまれた子には「痛かったね。どきどきしちゃったよね。嫌だったよね」と声を掛けて、かんでしまった子の代わりに「これを貸してほしくて、かんじゃった。ごめんね」と伝えます。仲裁したり、説得したりするのではありません。ただ、子どもの気持ちを言葉にするだけ。それで子どもの気持ちはすっと収まります。自分の気持ちが言える3歳くらいになると、かみ付きは自然に減っていくでしょう。
こんなとき、お兄ちゃんばかりをしかってしまうのは要注意。ママが弟の味方に付いてしまったら、お兄ちゃんは「やっぱりママは弟がかわいいんだ」と、ねたむ気持ちを深める原因になります。兄弟の仲を悪くしてしまうかもしれません。
けんかをやめさせたいのなら、「もうけんかはやめて」「ママ、けんかは好きじゃない」と、ママ自身の素直な気持ちを伝えてください。裁判官になってどちらがよい・悪いと判決を下すのは、やめましょう。
これは、わたしの子ども時代のお話です。わたしには2人の兄がいて、わたしはよく、下の兄とけんかをしていました。けんかに負けて泣くのは、いつもわたしです。それを見ていた上の兄は、下の兄をいつもしかりました。わたしはそれを見るたびに、「わたしが泣いちゃったせいで、ゆうちゃん(下の兄)ばっかり怒られちゃうんだ」と、胸が痛みました。とてもなかよしでしたから。
兄弟の間でけんかが多いのは、ありったけの気持ちを、安心して吐き出せる間柄だからです。決して悲しいことではありません。だから、兄弟げんかは、お互いが素手なら放っておけばいいと、わたしは思います(手に硬い物やとがった物を持っていたら、話は別ですが)。
それでも、どうしてもけんかをやめさせたいのなら、正論で説き伏せるのではなく、「ママ、けんかは嫌い」「二人がけんかしてると、ママ悲しくなっちゃうよ」とママの素直な感情を伝えましょう。「うるさいから、ママはあっちでおやつ食べてるね」と、いっそその場を離れてしまうのも効果的です。ママがいなくなったら、お兄ちゃんは弟を守ろうとするかもしれませんし、不安になって「どうする?」と相談を始めるかもしれません。
親がけんかの間に入ってどちらがよい・悪いと判決を下すのは、意味がありません。なぜなら、兄弟げんかでは、お母さんの愛情を少しでも多く取ったほうが「勝ち」だからです。子どもにどんなに正しいことを述べたところで、「そうだね、ぼくはおにいちゃんだからやめておく」とはなりません。「やっぱりママは、弟がかわいいんだ」という感情が残るだけです。
自己コントロールができるようになるのは5歳くらいからと言われていますが、子どもは、相手が泣いたり、悲しそうにしているのを見ると「わるいことをしたな」と感じています。わたしは、「人の心を動かすのは、人の心だ」と思っています。